軍事政権はミャンマーを平和な国にした? 不思議な国民、ミャンマー人。
ミャンマー人の「働き方」「生き方」は、到着するまでの僕のイメージとは大きく異なるものでした。
そもそも、来る前は、
え?軍事政権だった国でしょ?怖い。
みたいな。
けれどそこにあったのは、こちらがニコリとすれば、向こうもニコリと笑顔で返してくれる。そんなゆったりまったり、平和そのもののミャンマーでした。
今んとこ行った国の中で一番イージーモードな国。何が楽かって、この国安全そのものでして、ほとんどのミャンマー人がとても親切なので、心身ともにリラックスして生活できるのです。当初の「未開の危険地、ミャンマー」という先入観とは全く異なる場所だったのです。
軍事政権の恩恵? 誠実な国民、ミャンマー人。
*絶大な尊敬を受けるアウンサンスーチー
A:ついこの間まで軍事政権だったから、逆に治安がいいんですよ。
そう語ってくださったのは、ミャンマーで仕事をされて長い日本人のAさん。
軍事政権時代に軍部によって国が規則正しく運営されていたこの国では、その名残から今でも国民は誠実に暮らしています。
軍事政権と聞くとネガティブなイメージばかり先行してしまいますが、そこから受けたメリットも様々。今まで軍事政権の元、「守られた国」だったからこそ、食べ物にも困ったこともなく、教育も徹底され、一定の水準以上の生活が保たれた、ミャンマーはむしろ安全な国なのです。
A:むしろ民主化された今の方が、お酒を夜に取り締まり始めたり、今までなかったルールが起用されたりして、変な感じになってきてますよ。かなり混乱が生まれています。
軍事政権下で育まれたミャンマー人の性格とは。
長期に渡った、軍事政権はミャンマー人の性格すら形作ってしまいました。
軍部への反対をさせないために、個人を主張するような教育を排除してきたミャンマー。最近やっと導入され始めたというものの、長く小中高では個性を尊重する美術や体育、音楽の授業はなく、全体主義的な教育方針をとり続けてきました。
その結果、ミャンマー人にはシャイで内気な人が多いというのです。
ミャンマーにいて思うのが、ミャンマー人ってなんだか日本人に似てるなぁ。静かで、内気で。それもまたミャンマーが居心地のいい理由だと思うですが、日本に似ているけれど、軍事政権下で生まれた性格というのも興味深い。
A:その結果、シェアするのが大好きな人が多いんですよ。とても寂しがり屋なんですよね。1人で何かすることができない人が多いですよ。
これらの特徴は、前回記事で取り上げた、技能実習生として日本に訪れたときにマイナスに働くことも。
寂しがり屋で、人から怒られ慣れていないミャンマー人は、日本的には少しの厳しさであっても、深く精神的に応えてしまい、やめていく人もいるというのです。
*パゴダにお祈りに来た女性
さらに、ミャンマーの教育問題は、民主政権化した今、大きな変革が待たれています。暗記教育ばかりで、古い体制がぬけず、何より先生が育っていない現状は、国の抱える問題として挙げられます。
ちなみに、未だに軍人は政権に1/4の議席を持っていて、完全に軍事政権を抜けきれたわけではないミャンマー。
美味い汁だけ搾り取られる、ミャンマー。
このブログでは度々、ミャンマーの発展スピードの素晴らしさと、市場としての魅力を幾度となく伝えてきました。
しかし、世界から注目されるこの国を案ずる声も聞かれます。
B:ミャンマーにくる日系企業や外資のほとんどは、あくまで自分の企業の利益が第一で入り込んでくるわけです。いくら世界から注目されても、儲かっているのは企業で、国と現地の人は、置いてかれて行っている現状もあります。
Bさんは、ミャンマー人技能実習生のサポート業務を行うミャンマー人。
世界から集まってきた企業の多くは、ミャンマーの発展のためにやってきたNPOやNGOとは違います。
市場原理の元当然の話でありますが、しかしこれがいきすぎている部分があると指摘します。
*道端の商店
特に、厄介なのが日系ブローカーの存在。日本語手動で行われる技能実習生の手続きで、訳も分からないまま契約されて、実際に日本で働き始めたら過酷な労働環境を強いられ、安価な労働力として酷使させられるケースも後を絶たないと言います。
Bさんは、これらの問題を改善するために、積極的にミャンマー人へのカウンセリングを開始しました。実際に研修生になる前に、その現実と辛さを十分に伝え、不当な扱いを受けたら即座に抗議する術を教えていると言います。
B:それでもこの問題は無くなりません、一番の問題は、一攫千金を狙いたいというミャンマー人の気持ちに付け入って、お金だけせしめる、ブローカーの存在です。
まとめ
東南アジアというと、発展途上の貧しい国々という印象が先行しますが、ミャンマー人はこの地域の中でも特別な国民性を持つ人々でした。長い軍事政権が大きく彼らのライフに影響を与えたという特殊な国です。
カンボジアでも日本語学校に行きましたが、同じ日本語学校での日本語学習者でも、ミャンマー人とカンボジア人では全く考え方も雰囲気も違いました。
もともと貧しさに苦しんできた国ではないためにプライドも高く、カンボジアのようにまっすぐな「ザ・支援」というものが通用しないここミャンマー。
支援者、被支援者という構図を取っ払って、対等なビジネスパートナーとしての関係性の構築をお互いに模索する必要があるのかもしれません。
何より、僕はこの国の、平和でまったりしたスピード感が、たまらなく好きなのです。