僕も、手で食べないと、いけませんか、、、
インドの野郎は、都会生まれ都会育ち潤pの、全ての価値観をぶっ壊してきやがる。
この野郎は、路上に無限に散らかり続けるゴミの山でジャブをかましてきたかと思えば、
物乞いの若者が30分以上に渡り延々とついてきて、先制のストレートを入れてきやがった。
あの手この手で騙しにかかる商人との果てしない交渉に牽制されると、
お次はケツを手で洗えと天高く突き上げたアッパーで脳天をぶち抜かれるわけだ。
そして、なんとか左手でケツ洗浄の儀式に慣れてきたかと思えば、
体力戦になる後半戦に持ち込まれ、言い渡されるのが、
手で、喰らえ。
これまで、確かにバングラデシュから陸路を超えて、南インドを開拓し続けているわけで、ここに暮らす人々が手で食事をすることは重々承知している。
しかしだ。未だに潤pには、その一歩、いや一指が非常にためらわれるのである。
もちろん、ナンを手で食べたことなんていくらでもあるし、普段じゃぁパンなんかはどうやって食べてるんだって話になる。
しかし、インド人は、その手で、全てのものを手で喰らうのだ。パンをちょこっと手で食うのとは訳がちがう。
あの、油ギットギトのカレーに手を浸し、米とルー、野菜にヨーグルトまでこねくり回して食すスタイルに、どうしても進んでやろうとは思えずにいた。
基本的に、インドの全ての店で申し訳なさそうにフォークやスプーンも陳列されている。
周りの全ての人が手で食していようと躊躇せず、意気揚々とフォークにスプーンを掴み上げ、飯を済ませるのがここまでの潤pのスタイルになり上がっていた。
しかし、インドの神は、ケツを手で拭かせた後は、どうしても潤pに手で飯を食わせたいそうなのである。
民泊に泊まった。
医者とコンピュータ技術者の、インドの上層一家の家である。
*インド民泊の家族
広い家に、高級感溢れる家具、洗練された家族の物腰に、インドにありながらこのインドの喧騒から逃れられると確信した時だった。
家のオーナーは、にこやかに、昼飯を振舞ってくれる。
そこに、フォークやスプーンの姿はない。
潤p:あ、スプー、、、
言い切る前に、彼女は言い放つ。
オーナー:インドで暮らすなら、手で食べなくちゃね!はい!どうぞ!
マズイ、これは、、、
潤p:で、でも、、、
オーナー:手で食べると、いつも以上に美味しいよ!
確かに彼女の言い分はわかる。
潤pも、ラーメンを一生懸命にフォークで食べようとするMr.外人を見て、あー、フォークで、食ったら美味さ半減やーんと心の中で思うからである。
しかしだ、手で食うという、それも、インド人風に食べるというのはいささか異国の、しかもほぼ全てのものを箸でたいらげてきた東洋人の男には、荷が重すぎるのではないか。
絶体絶命である。彼女の出してくれた美味そうなカレーが、その日一日まだ食事をしていない胃を余計に刺激する。
よし。いこう。
コメを掴み、なるべくルーに指が触れないようにチャレンジする。
しかし、彼女はそんな邪道は許さない。
オーナー:違うよ!もっとこうして!
レクチャーをしてくれているその手は、完全にカレーをこねくりまわしている。
問題は、全て善意でやってくれているというところなのである。
カレーはおぞましいことになる。こんなにグチャグチャにして、、、何故、何故なんだ!?
答えは、驚くべきものだった。
オーナー:インド人はね、食事をしながら、手を使って、食べ物の温かさや、触感まで楽しみながら食べるんだよ。素材をそのまま手で感じることができる。これが皆んな手で食べる理由かな!
確かに、当然熱々のカレーに手を打っ込む行為は、日本ではダチョウ倶楽部ぐらいしかやらない芸当である。しかし、インド人はそれを、楽しんでいるというのだ。彼らにとって食事とは、味覚だけでなく、触感を刺激して味わおうというのだ。
それからというもの、潤pの指は、たくましく成長した。
未だに慣れず、食べ方ではバカにされることも多いが、右手は食を指先から楽しみ、右手が口に運んだ食い物を、最終的に左手が洗い流すという、黄金の循環を全身で表現していたからである。
日本の友達よ。帰国後、潤pとラーメンを食いに行っても引かないでほしい。
潤pがやるであろう、スープに指を突っ込むそれは、決して我慢などではないんだ。麺を掴み熱さを楽しみ、スープを感じるという、インド式を日本食に応用した、新たな潤pの喰い方なのだから。