【アフリカ最大のスラム・キベラスラムツアーに行ってきた】早川千晶さんのスタディツアーで見えてきた、スラムで「働く」就活事情。
ケニア、ナイロビにやってきた最大の理由。
サファリでもキリマンジャロでもマサイ族でもなく、アフリカ最大のスラムと言われるキベラスラムに行くこと。
キベラスラムに行く方法は、ツアーに参加することのみ。
*スラムに住む現地人から、1人でスラムに入ることを本気で固く禁じられたので、ツアー参加以外は選択肢に入れないほうがいいと思われます。
以前、インドでもスラムツアーに参加しましたが、未だにそのモヤモヤが払拭できたわけではありません。
そりゃ、スラムの人たちを実物するのはおかしいし、その生活圏に土足で入り込むのはどうかとたくさんの疑問はあるんですけれども、それでも入らなければ、そこの事実はわからない。今回も参加を決意!
日本人によるスラムツアー。
ナイロビのキベラスラムツアーで日本人に最も有名であろうツアーは、キベラスラム内にあるマゴソスクール運営者、早川千晶さんが行うスラムツアー。
今回はそこに参加してきました。
参加方法
月に数回しか開催されないレアなツアーなので、参加したい方は直接早川さんに連絡の上、日程調整が必要です。
chiakinairobi@gmail.com
こちらメールアドレスとなります!
スタディツアーは、複数人のグループで、早川さんの案内のもとスラム内を半日かけて回るというプラン。
朝に集合してスラムに入るわけですが、ガチガチにマシンガンを装備した警察が2人体制で警備。入る前からビビります。
アフリカ最大のスラム。
正直言いますと、インドのスラムとは比べ物にならないほどの劣悪な環境。
インフラが皆無な環境に、ゴミや糞尿が乱れ、汚職や暴力が溢れているようです。
人が生活出来る環境とはまるで思えない、「ごみ捨て場」にいるようです。
ナイロビの中心部に隣接するようにあるこのスラムは、世界のスラム同様人口過密。
100万人以上が暮していると言われ、未だに人口は増加の一途を辿っているそう。
キベラスラムは非常に歴史の長いスラムです。
イギリス占領時代に一方的に街が区画されたことで誕生。
つまりは、高くて涼しい場所を白人居住区に、暑くて土地の低い場所を黒人居住区に。
そうして形成されていったのがここ、アフリカ最大のスラム、キベラスラムなのです。
じっくりと深く知る、スラムツアー。
よく、営利的に短時間で観光のようにスラムを回るツアーもありますが、早川さんのスタディツアーは、スラムを丁寧に、深く、立場や主義に関係なく触れさせてくれる、そんなツアーでした。
*スラムの若者たちと
現地人と交流できる機会が多くプログラムに盛り込まれていて、そこに住む人たちのありのままの姿を参加者に見せてくれます。
それも、決して悲観的に演出することはなく、淡々と、長くキベラで働く日本人の早川さんだからこそ見えるポイントを、情報とともに理解することができます。
キベラの衛生問題、政府との関係、中国を代表する外国資本との関係、早川さんが実際に経営に携わるマゴソスクールの話など、様々な情報を得ることができましたが、今回はやはり、潤pのブログということで、キベラスラムの「働く」に注目してまとめていきたいと思います。
加工職人になる - キベラスラムの就活事情。
キベラスラムの人口比は、地方からの出稼ぎ労働者と元々キベラで生まれ育った人たちが半々となっているようで。
多種多様な職業が混在するここで、最もメジャーな職といえば加工業。
廃材を利用して生活用品を作ったり、独学で一から衣類を作ったり。
いくつかの加工職人の店舗も見学しましたが、そのクオリティの高さに驚かされます。
*動物の骨からアクセサリーを作る加工職人
お金を持たず仕事を求めてナイロビに出てきた若者が、キベラスラムに流れ着き、加工職人の元で丁稚奉公を始め、やがて技術を覚え独立する。
そんな就活スタイルが、1つのメジャーなライフコースとして存在しているようです。
さらに興味深いのは、キベラスラム自体で経済圏が独立して存在し得ていること。
加工職人が使う材料を集める人、キベラで生産されたものを「外の世界」に運んでいく人、水道を引いて水を売る人、その水を借りて洗濯業を生業とする人。
キベラだけで生活の全てが完結するように、ここの社会は案外うまく回っていたりするようなのです。
実際のところ、多くの人が日雇い労働者であるキベラスラムの住人は、その日暮らしの不安定な生活が当たり前。
350円ほどの日当で多くの人が生活しています。
*女性店主の洋服屋さん。
当然、スラムの中にも成功者とそうでない人がいるようです。
もともと未亡人で絶望の淵に立っていたある女性は、ミシンを覚え、服を作り始め、現在は人を雇い自身の洋服店を経営、子供を高校に通わせるまでの経済力を得た人もいます。
事実、彼女の店に並べられた服のデザインは魅力的で、今までスラムになかったような付加価値を加えたマーケティングスタイルの成功の賜物といえるかもしれません。
どこの場所でも成功する人しない人の分かれ道は、そういったところにあるのかもしれません。
社会に絶望する若者たち。
イギリス植民地時代に確立されてしまったという賄賂社会。
国のごく一部の上層部の人だけが甘い蜜を吸い続け、社会的弱者には一切還元されないという図式は、何十年何百年たった今でも変わりません。
そんな社会に絶望したスラムの若者、子供たちは、犯罪行為に手を染めることも珍しくないといいます。
銃も存在するというここキベラ。
NPOと偽ったギャング組織がキベラの子供達を大量に囲い込み、犯罪行為の英才教育で育て上げ、街の治安は一向に改善されません。
スマフォ1つのために人が殺される、キベラはそんなところだと言います。
スラムに生きる、シングルマザー。
ツアーの中に、家庭に訪問する機会がありました。
中学生程度の息子を持つ、30歳のお母さんの家です。
夫が蒸発してシングルマザーとして生きる彼女の仕事は洗濯。
毎朝スラム内の各家を回り、洗濯物を集め洗うという非常に不安定な職で暮しています。
ちなみに、水道設備のほぼ皆無であるここキベラスラムで洗濯するためには、水道を持っている人から水を買うこととなります。
体全体が脱力し、目に英気が感じられなかった彼女でしたが、息子の話となると、急に活力を取り戻します。
子供のためなら自分の体が動かなくなるまで働き続けたい。
子供が学校に行けることが一番に幸せ。
と語る姿に、全てを失ったようにすら映る彼女のたった1つの希望がそこにあるのかと、胸が熱くなります。
事実、キベラスラムのシングルマザー率は高い。
親戚も身寄りも実家も失い、キベラで生涯を生きることを運命づけられる母親は多いと言います。
早川さんのツアーは、実際にキベラスラムの教育機関マゴソスクールの資金源となっています。
もともと、警察と良好な関係を築けていなかったというこの学校も、ツアーで警察を雇いお金を落とすことで、その関係を円滑に保てるようになりました。
こうしてお金の回り方を明示してくれたこのツアーに、後ろめたさのようなものが払拭される感覚もありました。
スラムツアーという存在自体に対しては、未だに正解を見つけられてはいません。
しかし、高額のサファリや偽物のマサイ族に会いに行くだけでない、もう1つのケニアを見ることができた貴重な機会になりました。