【どうやってトゥクトゥクドライバーになるの?】カンボジア・シェムリアップの名物ドライバーたちの、人生、就活、仕事、収入、生きづらさまで。
ハロー!サー!トゥクトゥク!
オンナ?オンナ?
マリファナ?ハッパ?
東南アジアを旅したことがある人なら、
聞き覚えのあるであろう台詞。
トゥクトゥクドライバーの決まり文句であります。
トゥクトゥクとは?
三輪タクシー(さんりんタクシー)は東南アジアから南アジアにかけて普及している軽便な交通機関である。
料金交渉制のタクシーで、庶民の交通機関としての役割を担っている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC)
タクシーがなく、
列車やバスなんてもってのほかのカンボジアシェムリアップで、
交通手段といえば、
こちらのトゥクトゥク。
価格交渉が最強にめんどくさいし、
高いし、基本使わないトゥクトゥクですが、
町中にはわんさかこのトゥクトゥクが溢れ、
ドライバー達が必死に客の声かけを行っているのがシェムリアップの日常です。
5歩に1回はドライバー達から上記のお声がかかるもの。
単なる移動手段だけでなく、
風俗の手配や、
マリファナなどドラッグの仕込みまで一手に担う、
シェムリアップの便利屋さん、
それがトゥクトゥクドライバー。
そして、あまりの多さ、
あまりの絡みのウザさから、
潤pは彼らのことをまともに、
対等な人間として接することができずにおりますが正直。
ならば、彼らに同じ人として触れた時、
どんな生の感情に出会うことができるのか。
トゥクトゥクドライバーって、
どうやって就活したの?
彼らの「働く」、
彼らの「生き方」探ってみました。
今回は3人のドライバーに登場して頂きます。
皆んな大好き、ヤマトの岡ちゃん。
1人目、岡ちゃん!
シェムリアップの激安日本人宿、
ヤマトゲストハウスに宿泊したことがある人ならおそらく知ってる、
日本人に1番有名なトゥクトゥクドライバーといえば、
こちら岡ちゃん(オカちゃん)。
潤pも2年前から知ってます。
つまり2年前からずっと同じ場所にいる!
くだらんことと下ネタばっか言っていつもニコニコな岡ちゃんは、
どうやってトゥクトゥクドライバーになったのか?
もともとそこで、
大工として生活していましたが、
自身の生活費と両親を支えるために、
経済的に苦しくなっていきます。
そこで、一大決心と、
シェムリアップに来て、
求人がたまたまあった日本食料理屋で働き始めたそうです。
少し日本語に慣れた岡ちゃんは、
シェムリアップの王道ライフコースである日本語ガイドを目指し、
日本語を日本語学校で勉強し始めます。
その時、日本語学校の先生から、
ナイナイの岡村に似ていると、
岡ちゃんという名前を授かり定着しました。
その辺りで、
トゥクトゥクドライバーに転向した岡ちゃんは、
日本語が話せるという技能を使って、
日本人ゲストハウス、ヤマトゲストハウスの専属トゥクトゥクドライバーとして勤務を始めます。
そこで数年働いた後、独立。
しかし未だにヤマトゲストハウスの前の駐車場に溜まり、
客引きをする日々で現在に至ります。
未だに、両親には仕送りを送っているという岡ちゃん。
彼の両親は、仕事をしていないといいます。
毎日毎日、ヤマトゲストハウスの前で、
ひたすら声をかけまくってる岡ちゃん。
ハーイヨー!キョウ、ドコイキマスカー!?
岡:深夜に空港に着く人もいるから、遅くまで働く日もあるし、逆に疲れれば何時でも家に帰っても大丈夫です。でも、ちゃんと働かないと、お金がない。
明るく最高にアホな岡ちゃんにも、
彼だけののライフストーリーがしっかりと刻まれています。
失業からドライバーに。半年目の「若手」ドライバー。
次の方は、イサイさん。
彼と出会ったのは、
以前の記事で紹介した夜の宴会で。
仕事中ではないトゥクトゥクドライバーとプライベートで話してみるのは潤pも初めてのことです。
とても親切な彼は、
実はトゥクトゥクドライバー歴まだ半年。
年齢と反しまして、
「若手」ドライバーにあたります。
しかし、英語はすでにペラペラ。
日本語も少し理解する彼は、
もともと別の地域でネイチャーガイドとして働いていました。
カンボジアの密林を案内する、
欧米人に人気だったというツアー。
しかし、温暖化の影響と、
大規模土地開発による森林伐採で、
彼の職業は失われました。
やむにやまれぬ状況に陥った彼は、
英語が話せるという能力を生かせる遠く離れたシェムリアップの地に、
家族を連れてやってきました。
水不足に悩むカンボジア。
森林だけでなく、
農家も年々仕事を失っています。
とくに水の少なかった今年は、
雨が降れば皆んな大喜び。
しかし、このままいけば、
シェムリアップも何年後かには本格的に水不足が大問題になるとも予想されています。
イサイ:生活は正直苦しいです。毎日、ストリートで大きい声出して外国人を捕まえようとしても、1人も見つからない日だってある。貯金もなくて、僕のトゥクトゥクは、人から借りてるものなんです。
好きであんな大声で客引きを街でしているんじゃないと言いたげなイサイさんは、
毎月トゥクトゥクのレンタル代として100ドルを払っているといいます。
月収の半分、またはそれ以上が、
レンタル代として飛んでいく計算です。
トゥクトゥクにもレンタルで働いている人がいるとはとまず驚いてしまいます。
トゥクトゥクドライバーになるために
トゥクトゥクドライバーは基本、
組織に属することなくフリーで働いています。
まず、原動力となるバイクで10万円ほど、
そこから人を乗せる座席部分が約15万円だといいます。
決して楽に始められる金額ではない。
中古のものもあり、
色付けなどをしてくれる業者もいるんだと。
月収は人によって本当に違いますが、
平均で200ドルほど。
ほとんどのドライバーがホテルやゲストハウスと契約して、
そこから仕事をもらうコネクションを持っています。
一応、それぞれの縄張りみたいなものもあって、
勝手に相手の土地で商売をしない暗黙のルールもあるそうです。
トゥクトゥクドライバーから転職?もうトゥクトゥクでは食っていけない今。
最後にAさん。
シェムリアップのガイドになるにはどうしたらいいのか。
ガイドになるための学科があるアンコール大学に行ってみようと訪ねた日、
学内でAさんに会いました。
残念ながらガイドの学科はその日はお休み。
せっかく来たのでそこにいた生徒に話しかけても、
みんな英語が通じず、
他の生徒が奥から1人の男性を連れてきました。
*アンコール大学入り口
その人が唯一英語を話せるAさん。
あれ?この人先生?
あきらかに年が他の生徒よりも上だぞ??
潤p:先生ですか?
A:はははははは、生徒ですよ笑
潤p:失礼しました焦
Aさんが在籍するのは看護学部。
30歳で学生をやり直したというAさんは、
自嘲気味に、「皆んな僕が生徒だというとビックリするんですよ」と。
そして、Aさんはなんとトゥクトゥクドライバー。
昼間は学生、夕方からはトゥクトゥクドライバーとして、
PUBストリートに立っているんだといいます。
A:シェムリアップには、トゥクトゥクドライバーがだいたい1000人ほどいるって言われてます。正直、この仕事が最近割に合わなくなってきていて、看護の仕事に転職することを決めました。
大学の費用は親からのサポートと自費で捻出し、
年間750ドルだといいます。
増えすぎてしまったトゥクトゥクのために、
その競争は激しく、うまくホテルなどと契約が取れたり、
顔のきくトゥクトゥクドライバーでなければ生活が厳しい状況にあるといいます。
簡単な会話からはじまったインタビューが、
気がつけば学校の教室で延々と繰り広げられる昼下がり。
*アンコール大学入り口
そんな、Aさん。
さらにトゥクトゥクドライバーをやめようとする理由をもう1つ、
口ごもりながら話してくれました。
A:実は、結婚しようと思ってるんです。ただ、その相手方の両親から、僕の職業がトゥクトゥクドライバーだということで反対されてるんです。
収入が安定していないトゥクトゥクドライバー。
さらに、上記のように、
風俗の手配やドラッグのプッシャーとしての面も持つ人たちがいるために、
そのイメージは良いとは言えないようです。
ドライバーにもそれぞれの人生。
競争が激しくなるトゥクトゥク。
いつも、
ハロー、コンニチワ!オニイサン!ドコイク?
ったくうるせぇな、あっちいけよ、、、
みたいな感じなトゥクトゥクドライバー達も、
それぞれ1人の人として表面には見えてこないライフストーリーを持って生きています。
なかなか知ることがないトゥクトゥクドライバー達の、
それぞれに紡いできた異なるストーリー。
2年前にも同じ場所にいた岡ちゃんは、
次に来る時もまた同じ場所でニヤニヤしながら下ネタ言ってくるのかなぁと、
ふと思うのであります。