3人の外国人労働者が語る、虚しい壮麗の都市・ドバイの実情。
ドバイにあったのは、
絶対的な補償制度により裕福な生活が守られた人口2割程度の自国民と、
高賃金を求めてやってきた人口大多数の外国人労働者という、
2つの世界でした。
この、華麗で、富の象徴である新しい大都会ドバイとは、一体どんな場所なのか。
今回はそこで働く3人の外国人労働者の人生から、ドバイという都市を見てみます。
世界を渡り歩く労働者。
フィリピン人は、世界中で見かけることができます。
自国の経済理由による海外への出稼ぎを選択する彼らは、英語が話せることが手伝って、世界を労働の場と選択する人が多いのです。
物価の高すぎるドバイに苦しみながら、偶然宿の近くで見つけたファストイタリアン料理店。
入ってみると、労働者は全員、フィリピン人でした。
*注文中*
潤p:Can I have...
ドン:あなた!にほんじん!?
潤p:え!?
ドン:にほんじん??
潤p:そ、そうです、、、!!
そんな出会いで始まったのは、この店の店長、ドンさん。
世界を渡り歩く、フィリピン人労働者の1人です。
名前:ドン
年齢:51歳
職業:料理店店長
もともと日本で21年間も働いていたというドンさん。
通りで、日本語がペラペラなわけです。
ドン:フィリピンの大学でマーケティングを学んだんですが、卒業後仕事がなくて。ちょうどその時、姉が日本で働いていて、その勧めで日本で働くことにしたんです。はじめはカラオケとかで働いて日本語を覚えてね(笑)
フィリピンでは大学を卒業しても職がないというケースは多くあるといいます。
彼らの社会では当然のように海外が就職先の候補として挙がるのです。
ドン:日本を出た後、新しい仕事を探さなくちゃいけなくて。ドバイにはオフィスもたくさんあって給料もよく、いい仕事があると聞いたからやってきました。
潤p:ドバイで働くのって、どうですか?
ドン:とてもつまらないよ(苦笑)。仕事場と家を行ったり来たりの毎日。ここには何にもない。楽しいこと、やりたいこと。早く日本に戻りたいですね。
日本のことを懐かしむように、わざわざスマートフォンから、日本で働いていた頃の写真や、日本にいる姪っ子などの写真を嬉しそうに見せてくれました。
*フィリピン人の同僚たちと
そんなドンさんはすでに4児の父。
日本語、英語だけでなく、スペイン語、韓国語も話すというドンさん。
圧倒的なその能力でありながら、現在の1ヶ月の給料は、日本での1週間から2週間分でしかないそう。
経済面でも、心の拠り所としても、「日本に行きたい」それが彼の本心のようです。
戦火を逃れ、ドバイに。
ドバイ唯一の歴史地区、オールドドバイという観光地で土産物屋を営むのは、ほとんどがパキスタン人、バングラデッシュ人、アフガニスタン人など。
その一軒の土産物屋に立ち寄った時に、1人のアフガニスタン人Aさんに出会いました。
A:私は7ヶ月前にドバイに来たばかりなんです。
戦闘が絶えない自分の国から、逃げるようにして豊かな暮らしを求めにドバイへやってきたといいます。
A:私自身も、もともと兵役で軍隊に入っていました。パキスタンへ潜入したこともあります。パキスタンとアフガニスタン国境は常に紛争地帯で、戦闘が絶えない状況なんです。ほとんどの家に銃が置かれていて、子供も女も戦闘方法を知っている、それがアフガニスタンです。
戦争のために昔、一家でアフガニスタンからパキスタンに移住した彼は、パキスタンの言葉を話せることから、アフガニスタン軍で重宝されたといいます。
A:アフガニスタンの土地は、パキスタンに奪われたんです。彼らは、国力を低下させるため、わざと学校を狙う、非道なやり方をしてきます。
彼のアイデンティティには、「アフガニスタン人」というものが最も強くありました。ムスリムとしてよりも、ナショナリズムが強く、彼は自国に強い誇り持っていました。
A:今は、アフガニスタンも、着実に新しい道を歩み始めています。昔は必要無かってんですが、軍隊に入るには学歴が必要になったし、ほとんどの子が学校へ行くようになりました。少しずつ学力がつき、国力をあげていくアフガニスタンにパキスタンは恐怖を覚えていると思います。
そんな彼自身は、1年しか学校に行ったことがない。
潤p:ドバイでの暮らしはどうですか?
A:まだ来たばかりだけど、ドバイの物価が高すぎて帰ろうかと今思ってます。いくらお金を稼いでも出て行く方が大きくて。
潤p:それでも、人はドバイに集まってくるんですか。
A:全ては2020にある万博のために、今世界中から色んな外国人が集まっている時期なんです。私は、アフガニスタンでビジネスをやりに戻りたいと今考えています。
1つの通過点、ドバイ。
ドバイで泊まっていたゲストハウスで、1人のインド人Bさんに出会いました。
ドバイですでに30年近く暮らしているという彼は、今新しい家を探している間の仮の住まいとして、このゲストハウスに滞在していました。
名前:B
年齢:不明
職業:フローリング会社社長
B:大学まではインドで卒業して、そこからすぐにドバイでビジネスをやってる両親の元にやってきたんです。だからインド人だけど、インドで働いたこと、ないんです(笑)
潤p:今はどんなお仕事を?
B:フローリングの受注、デザイン、張替えまでを行う会社を従業員11人とやってます。僕以外は全員ネパール人ですね。大学卒業後ドバイの会社で6年働いてから独立して、始めは1ヶ月500ドルから今の会社をスタートしました。
同時に旅行会社も経営しているという、バリバリのビジネスマンです。
潤p:ドバイとは、どんな場所ですか?
B:ドバイは単なる経由地ですね。だれでも数日泊まっただけで出て行ってしまう、そんな街です。
インドにあるような「生活」はありませんよ。人々はロボットのように生きているのがここドバイだと思います。
潤p:ドバイは好きですか?
B:Yesとは絶対に答えられませんね。ただ、それでもドバイで働くのは、周辺諸国よりも格段に稼ぎがいいから。
その大きな理由は、まさにこの国に税金がないからだそう。すでにインドの会社の多くや世界中の会社が本社をドバイに移しているそう。
B:でも、絶対にここに永住したいとは思わないな(笑)ここにいたら、気がおかしくなっちゃうよ! 近い将来自分の今の会社を売り払って、ドイツに住もうかと思ってるんだ。
ドバイという街は、これだけ華やかで、美しい場所なのに、潤pの目には何故だかとても寂しく見えます。
3人に共通して見て取れたこと、それは、ドバイを単なる「稼ぎのいい通過点」としてでしか捉えていないこと。
これが、ドバイという場所の虚しさの根源なのかもしれません。