【日本の生きづらさの根源は、イギリスにあった!】似てるようで似ていない、同じ島国、日本とイギリス。
ロンドンの街に着いた瞬間、久しぶりに東京を感じました。
こんなにスーツの人を見かけた国もこれまでなかったし、
険しい顔つきで忙しそうに人が行き交う交差点も久しぶり。
朝の通勤ラッシュでは改札にダッシュで駆け込む人がいて、
まさか、電車の中で、向かいの席の人と目が合うのを気にすることが日本以外であるなんて、想像もしていませんでした。
滞在を通して確信したこと、ロンドンは東京とものすごく似ている。
それは人々の価値観のようなものから、それを形作る制度、街づくりまで、日本が明治維新でどれだけイギリスを模倣して無理に作った国かってことがよくわかるようになっております。
イギリス人って保守的なの!?
移民の若者の人生に迫った前回の記事でも、その彼が指摘したように、
イギリス人は保守的らしいという噂。
ロンドンで出会ったイギリス人の大学生Bさんは、こんな話をしてくれました。
B:イギリス人は、フランス人のことを「何でもすぐに言う人」って呼ぶんだ。
イギリスでは、フランスほどデモやストライキがあるわけでもなく、EU脱退の方針が固められていく時も、反発的なムーブメントの波は強く感じられなかったといいます。
あのフランスで感じたまさに「自由」を求めて生涯を没入させていくような空気感がイギリスで感じられなかった理由はそこなのか。
フランス人を「何でもすぐに言う人」と呼ぶことはつまり、イギリス人は「あまり意見を発言しない人」というふうに考えられると思います。
B:イギリス人は保守的な人たちだと思うよ。
潤p:なんでそう思う?
B:やっぱり、島国であることは関係してるんじゃないかな? イギリス人は空気を読む人たちだと思うよ。恥ずかしがる人もいたり、社会や相手のことを気にする人たちも多い。その点で、日本人に似てる部分があるんじゃないかな。
特に、保守的な傾向はロンドンを出た郊外に色濃く残っているらしい。
白人ばかりで、未だにムスリムを見たこともないような人たちが住む場所はいくらでもあるらしい。
B:ロンドンはイギリスでも特殊すぎる場所なんだ。でも逆に言えば、これだけ時代の中心として君臨して来たロンドンで、今じゃ色んな人がいるのに、未だにイギリス人っていうアイデンティティや伝統を保てているのは、この国に保守的な姿勢が強くあるからなんじゃないかな。
世界でも珍しく、日本人のように空気を読むイギリス人というのはとても興味深い話。
イギリス人と話していると、基本的にはオープンな人が多いんですけれども、どこかで相手の様子を伺っていたり、距離を作っていたり、そんな感じがするのがイギリス人。
イギリスの生きづらさとは?
ドイツに長年住み、現在イギリスに住む日本人のCさんは、こんな話をしてくれました。
C:1番住みやすい場所はドイツです。ドイツには8年、イギリスには2年住んでますけど、もうイギリスでは日本的な嫌なことを思い出してしまうの。
学歴社会のイギリスには、格差が色濃く線引きされ、貧困の再生産が起きる構造があるといいます。
家柄も重要視されるイギリス社会には、目に見えない社会の絶対的なメインストリームが存在し、マジョリティが評価軸の覇権を握る社会だそうなのです。
ドイツの記事では、いかにドイツ人が、それぞれ「個」の評価軸を持って生きている人たちであるかということをひたすらに書いてきましたが、ここ、イギリスは、どうやらその社会とは違うらしい。
C:格式高くて、家柄、学歴をとても重要視する国だから、ドイツとは根本的に考え方が違うんです。
イギリスはこれまで他地域を侵略、破壊してきた上に成り立っている国。
一方ドイツは植民地の覇権争いに一歩遅れて、その後大きな敗戦の経験を持つ国です。
そんな違いが、両国の社会構造や価値観の形成に、強く影響していると指摘するCさん。
C:全てそんなイギリスから学んできた日本だから、イギリスと同じ辛さが前面に出ているんだと思う。
実は似てない、イギリスと日本の違いとは。
イギリス人大学生Bさんに、イギリスでの就活について聞いてみました。
B:イギリスでは、就活にあまり大きな意味を与えていないと思うよ。妥協してとりあえず仕事を選ぶというよりは、自分の目標のためにめちゃめちゃ頑張るみたいな人が多い。そこで失敗したら、また次を待てばいいと思ってるしね。
就活は(そもそも就活という概念すら存在しないと思うのですが)日本のように人生のあまりに大きなライフイベント、分岐点にはなっていないようなのです。
そこで1つの疑問が生まれます潤p。
社会システムがこれほど似ているイギリスと日本。
けれど、就活や若者の就労意識はこんなにも違うのか。
なぜ!?
その理由こそ、イギリス人と日本人にある、根本的な価値観の違いだと思うのです。
これまでイギリスにおける保守的な傾向や、絶対的な評価軸によって生み出される生きづらさを書いてきたわけですが、
それでもイギリス人の価値観の根底にあるものは、ヨーロッパ人に共通する「個」の豊かさの追求という思想だと思うのです。
自分自身の軸を小さい頃から持っているイギリス人の小学校で、いじめが少ないという話を聞いたことがあります。
結局のところ、個人レベルの意思決定においてその根拠となるのは、自分がどう思うかどうか。
おそらくそれがこのような社会で実現され得るのは、学歴等の絶対的な評価軸も、あくまで無機質で一元的なものであるからこそ。
絶対的な評価軸でさえ、人々の意思決定における決定的な根拠にはなりえないのではないかと思うのです。
では、日本の場合はどうなのか。
まさに、こここそが、潤pがこのプロジェクトを始めた理由なのですが、日本人の特に若者の意思決定の根拠になっている部分は、イギリスのそれよりも有機的で、より多元的な、それでいて個人ごとの価値観に深く根ざしたものだと思うのです。
つまり、日本における生きづらさの根源とは、他人がこのように思うだろうから自分はこうしようという、個人の価値観を他者や社会を媒介して根拠としている、そこだと思うのです。
だからこそ、人と自分を比較して、自分の頭の中だけで不安に陥っていく。
では、なんでこの違いが生まれたのか。
日本で現在の生きづらさが生まれた背景には、このイギリス流の社会システムを、土壌の全く異なる日本人と日本社会に無理やり当てはめてしまったためだと思います。
本来であれば、日本人に最適化した制度を導入することが必要となるはずのところ。
しかし、明治維新とともに、これまでの農村共同体社会に突如として学歴などの絶対的な評価軸の元に人を判断する枠組みと価値観が植えつけられました。
そして時が経ち、いつしか同じ制度を持つイギリスでは起き得ない、極限の生きづらさが生まれたのではないかと、そんなことを深読みしてみます。
そもそも、今日本に現行ある、教育制度や、大学システムというものは、果たして日本人に本当に適しているのか、もう一度考えてみる必要もあると思います。
ヨーロッパの比較は面白いです。
どこの国に行っても、基本的な、自由を求める姿勢や、個を大切にする姿勢は似ていても、それを求める方法が違ったり、ライフスタイルが違ったり、その延長線上で飲むお酒が全く違ったり。
陸続きで、これだけ小さい国が無数にありながら、どこも全く異なる特徴があるし、人々がいる。
やはり、どこの国がいいとか、この国は絶対的に正しいなんてものはなくて、その土地、その国民に根ざした幸せを考えることが、大切なことのような気がします。